学校紹介

学校の歩み

明治39年(1906)
=第1回
大阪・浜寺に水練場開設(7月1日)
明治41年(1908)
=第3回
多田一郎氏、浜寺水練場で能島流を教える
明治43年(1910)
=第5回
浪速遊泳同志会を日本遊泳同志会と改称
明治44年(1911)
=第6回
国際競技大会で神戸外人クラブと対戦
大正元年(1912)
=第7回
M・ジェームス氏(イギリス)よりクロール伝えられる
大正4年(1915)
=第10回
第2回海上10マイル大競泳大会開催
大正5年(1916)
=第11回
第3回極東選手権大会関西予選を浜寺で開催
大正8年(1919)
=第14回
宗家多田一郎氏より直接秘伝、口伝を受け同流師範となった中尾保氏が水練場の師範となり能島流を指導
大正11年(1922)
=第17回
水練場を「浜寺水練学校」と改称。学校組織となり大いに充実、部長制度を導入
教科目規定が決定され実施
水練学校校歌制定
大正12年(1923)
=第18回
水練学校規則を改正し内容の充実を図る
浜寺水練学校に正式に女子部誕生
極東選手権大会(大阪)で藤本秀松(平泳ぎ)、斎藤魏洋(背泳)が優勝
大正13年(1924)
=第19回
3,000メートル競泳始まる(中尾保優勝),
パリオリンピックに斎藤魏洋出場、100メートル背泳6位入賞
大正14年(1925)
=第20回
水中ページェント誕生。後に「楽水群像」と命名
日本水上競技連盟創立。近畿代表に中尾保氏
第2回3,000メートル競泳(斎藤魏洋優勝)
浜水で、松本楢雄が英国式人命救助法を日本で初めて指導
昭和元年(1926)
=第21回
第3回海上10マイル競泳(堺−浜寺−泉大津−浜寺間)入谷唯一郎優勝
第3回3,000メートル競泳(入谷唯一郎優勝)
昭和2年(1927)
=第22回
第4回3,000メートル競泳(杉本末春優勝)
昭和3年(1928)
=第23回
主事を置く
第5回3,000メートル競泳(杉本末春優勝)
昭和4年(1929)
=第24回
中尾保氏が国際水泳連盟アムステルダム会議に飯田光太郎氏とともに日本水泳連盟代表として出席。国際水泳連盟に日本水泳連盟として加盟を署名(従来は大日本体協が加盟していたのを体協が脱退して日水連が加盟した)
第6回3,000メートル競泳(入谷唯一郎優勝)
昭和5年(1930)
=第25回
校友会、浜寺水陽会発足
第7回3,000メートル競泳(伊藤英逸優勝)
昭和6年(1931)
=第26回
「楽水群像」正式に命名される
大名行列誕生
第8回3,000メートル競泳(山尾大吉優勝)
昭和7年(1932)
=第27回
「楽水群像」が宝塚のプールで初めて一般公開され観客を魅了した
第9回3,000メートル競泳(山尾大吉優勝)
昭和8年(1933)
=第28回
第10回3,000メートル競泳(木下善一優勝)
昭和9年(1934)
=第29回
第11回3,000メートル競泳(栗原栄二優勝)
昭和10年(1935)
=第30回
浜水女子ウォーターポロ誕生(日本最初のチーム)神戸外人クラブと対戦
第12回3,000メートル競泳(栗原栄二優勝)
昭和11年(1936)
=第31回
水陽会東京支部誕生
第13回3,000メートル競泳(塩澤龍彦優勝)
昭和12年(1937)
=第32回
浜水体操制定
第1回熱海−初島1万メートル団体競泳大会出場。監督=中村立志、選手=栗原、塩澤、香川、増田
第14回3,000メートル競泳(塩澤龍彦優勝)
昭和13年(1938)
=第33回
第2回熱海−初島1万メートル団体競泳大会出場。監督=杉本末春、選手=斎藤(嘉)、香川、増田、池内
第15回3,000メートル競泳(塩澤龍彦優勝)
昭和14年(1939)
=第34回
入学希望者5,000名に達する
神宮大会に日本泳法(中尾、関、石沢)と楽水群像出場
横須賀1万メートル団体競泳大会の一般の部で優勝。監督=杉本末春、コーチ=内藤、選手=香川、山尾、田村(岩)、山口(利)、補欠=原田
第16回3,000メートル競泳(山尾一郎優勝)
昭和15年(1940)
=第35回
第17回3,000メートル競泳(山尾一郎優勝)
昭和16年(1941)
=第36回
神宮大会に日本泳法と楽水群像出場
第18回3,000メートル競泳(田村岩夫優勝)
昭和17年(1942)
=第37回
校章(丸の中にH)から「錨」にかわる
琵琶湖1万メートル団体競泳出場、3位入賞。監督=杉本末春、コーチ=佐々木、選手=田村、虎野、香川、江口
第19回3,000メートル競泳(香川荘一優勝)
昭和18年(1943)
=第38回
神宮大会に日本泳法と楽水群像出場
第20回3,000メートル競泳(伊藤一郎優勝)
昭和19年(1944)
=第39回
第21回3,000メートル競泳(中尾保優勝)
昭和20年(1945) 第2次世界大戦のため休校
昭和21年(1946)
=第40回
校章、校旗(丸の中にH)に戻る
コレラ流行のため遊泳禁止で後半休校
第23回3,000メートル競泳中止
9月初め嵐山ハイキング、遊泳の会が発足
琵琶湖1万メートル競泳出場。女子の部で優勝木村一子、3位大野、4位二階
近江舞子月ヶ浜に姉妹校琵琶湖水泳学校開校
昭和22年(1947)
=第41回
米軍が浜寺公園を全面接収のため、諏訪の森で開校
移動式投水台で授業
女子部卒業試験遠泳1万メートルとなる
第24回3,000メートル競泳(伊藤一郎優勝)
昭和23年(1948)
=第42回
教務委員会設立、馬食会も復活
仁田順三郎氏、大阪水泳協会会長就任
第25回3,000メートル競泳(伊藤一郎優勝)
昭和24年(1949)
=第43回
女子部ポロ復活、京都水泳クラブや同志社と対戦(甲子園プール)
第26回3,000メートル競泳(伊藤一郎優勝)
昭和25年(1950)
=第44回
教科目を大改正し競泳中心となる
大阪プール開場、楽水群像参加(8月1日)
復活第1回日米水上競技大会に楽水群像出場。このとき初めて楽団演奏で演技(宝塚歌劇団・高橋廉作曲、大阪市音楽団演奏、高橋清彦振付)
第27回3,000メートル競泳(山村森一優勝)
昭和26年(1951)
=第45回
浜水選手権誕生
卒業生謝恩会始まる
第28回3,000メートル競泳(山村森一優勝)
昭和27年(1952)
=第46回
大阪警視庁水泳訓練開始
2,000メートル団体競泳行われる
第29回3,000メートル競泳(米田廉康優勝)
昭和28年(1953)
=第47回
日米豪比対抗競技大会に楽水群像出場
台風で紀州方面よりの流木にて海浜大いに荒れる
第30回3,000メートル競泳(米田廉康優勝)
昭和29年(1954)
=第48回
浜寺の浜に帰る(米軍が海岸線のみ返還)
奈良国体でシンクロナイズド・スイミングを日本初公開(9月21日・天理プール、出場者=木村、小西、影山)。楽水群像も出場、中尾保氏が浮き身と手足縛を披露
中尾保師範還暦祝賀記念水泳大会開催。満60歳1,500メートル公認記録29分23秒7(9月23日、大阪プール)
日米対抗水上競技大会に楽水群像出場(大阪プール)
アメリカのシンクロチーム来日(7月28日、神宮プール)
大阪水泳学校へ出張教授
第31回3,000メートル競泳(米田廉康優勝)
昭和30年(1955)
=第49回
復活第2回日米対抗大阪大会に楽水群像出場
日米大会の四国、九州、天理会場にシンクロ、楽水群像参加
大阪水泳学校へ出張教授
水陽会委員会制度誕生
第32回3,000メートル競泳(末永昌一優勝)
昭和31年(1956)
=第50回
50周年記念行事挙行
8月14日ビヤパーティー
8月15日記念運動会(浜寺)
8月16日記念運動会(大阪プール)
〔表彰者〕◇毎日新聞社より感謝状及び記念品贈呈
中尾保 米田定雄 杉本末春 仁田順三郎 関重久 藤本秀松 古田昌雄 高橋清彦 佐々木正男 塩澤龍彦 中村正三郎 久下英三 筧潔 栗原栄二 吉田竹翠 華岡芳三矢追季春 山尾大吉 西田芳雄 大西義一 新田長夫 小沢恒三 香川荘一 矢追実 村田宏 伊藤一郎 天野英敏濱田奈良夫 塚本弘明 稲葉功 堀佳昭 今村益三 安家周子 有光ユウ 三浦c子 永山照子 武藤勝子 景山絢子 木村一子 以上39氏
◇水陽会より感謝状及び記念品贈呈
高石真五郎 浅井良任 高石勝男 田中茂 魚橋信夫 藤村嘉夫 入谷唯一郎 鈴木芳次 松本楢雄 生川純 以上10氏
第1回日本泳法大会出場(天理プール)
大阪水泳学校へ出張教授
浜水が大阪府教育委員会より社会体育振興の功績で表彰される
第1回日米シンクロ競技大会兼全日本シンクロ選手権大会開催。浜水が中心となって推進(8月4・5日、大阪プール)
国民皆泳大会の全国実況大阪会場に浜寺が選ばれNHKが放送(8月20日)
国体夏季大会にシンクロ出場(9月、甲子園プール)
第33回3,000メートル競泳(崎山武雄優勝)
昭和32年(1957)
=第51回
研究部を指導部と改称
シンクロナイズド・スイミング部誕生
第2回日本泳法大会に出場。男子6位、女子2,3位を獲得(8月11日、奈良:天理プール)
第2回全日本シンクロ選手権出場。チーム2位、デュエット3位(8月14日、東京・目白プール)
第1回琵琶湖横断競泳大会出場(8月23日)女子チーム優勝(監督=西河道江、選手=角家輝代子、末永隆子、内山啓子)男子チーム2位(監督=島田豊太郎、選手=荻野邦雄、西宮芳夫、高田年尚、補欠=楠統一郎)
水練場対抗水上競技大会開催。浜水、芦屋、大阪、京都踏水会が参加(8月27日、大阪プール)
第34回3,000メートル競泳(荻野邦雄優勝)
昭和33年(1958)
=第52回
第3回アジア大会にシンクロ部出場(5月28〜31日、東京)
第2回日米シンクロ競技大会出場(8月12日、神宮プール)
日豪国際水上にシンクロ、楽水群像出場(8月22日・23日、大阪プール)
第3回全日本シンクロ選手権出場。チーム2位、デュエット2位(8月12日、目白プール)
堺臨海工業地帯造成埋め立て工事開始
第35回3,000メートル競泳(西宮芳夫優勝)
昭和34年(1959)
=第53回
第4回全日本シンクロ選手権出場。チーム優勝、デュエット優勝(都甲璋子、岡田一恵)、ソロ2位(8月12日、東京)
第3回日米対抗大阪大会に大名行列、楽水群像、シンクロ出場(8月25日・26日、大阪プール)
高橋清彦氏シンクロ育成の功労で表彰
NHKと毎日テレビが授業模様を放映、浜水が全国に紹介される
第36回3,000メートル競泳(角野元一優勝)
昭和35年(1960)
=第54回
オリンピックの夕べに大名行列出場(7月31日、大阪プール)
第5回全日本シンクロ選手権出場。チーム優勝、ソロ2位、デュエット2位(8月3日、目白プール)
第3回日米対抗大会にシンクロ出場。チーム2位(8月18日、東京)
第5回日本泳法大会出場(天理プール)
第37回3,000メートル競泳(角野元一優勝)
昭和36年(1961)
=第55回
第55回記念水上運動会開催(8月13・14日)
水陽会による「プール建設推進委員会」でプール早期建設を求める署名活動展開
第6回全日本シンクロ選手権出場。チーム優勝、デュエット2位(8月、目白プール)
第1回関西シンクロ選手権で全種目独占優勝(大阪プール)
第6回日本泳法大会出場(天理プール)
第38回3,000メートル競泳(高橋数隆優勝)
昭和37年(1962)
=第56回
臨海工業地造成のため羽衣海岸で開校
中尾保師範に十段位贈呈
第7回全日本シンクロ選手権出場。チーム2位、デュエット2位(8月、天理プール)
第2回関西シンクロ選手権で全種目独占優勝(6月、大阪プール)
アラブ連合国際水上競技大会にシンクロ部出場。全種目独占優勝(7月1日〜5日)
第39回3,000メートル競泳(角野元一優勝)
昭和38年(1963)
=第57回
東洋一の浜寺公園プール群が完成し、7月10日開場。浜水は海からプールへと会場を移行
1月28日、中尾保師範が逝去。後任として浅井良任氏が就任
高橋清彦氏が保健体育に対する功績により、大阪府教育委員会から文化功労賞を贈られる
第8回日本泳法大会で中尾善宣が初優勝(8月11日、天理プール)
故中尾師範追悼水泳大会開催。高石日水連会長、藤井正太郎先生ら各流派より来賓多数参加(8月13日、浜寺プール)
昭和39年(1964)
=第58回
第9回日本泳法大会で中尾善宣、黒川重子が優勝(8月23日、天理プール)
日米親善シンクロ大会出場(10月21・22日、滋賀県草津室内プール)
昭和40年(1965)
=第59回
4月2日、浅井良任師範逝去。後任に米田定雄氏就任
男子の褌がパンツに改められる
第10回日本泳法大会で黒川重子2連勝
泳法部が同好会として発足
第9回日本シンクロ選手権大会で全種目優勝(8月26・27日、東京)
関西シンクロ選手権大会全種目独占優勝
昭和41年(1966)
=第60回
米田定雄氏師範辞任、後任に仁田順三郎氏が就任
第11回日本泳法大会で女子の中出潤子優勝
第1回近畿水練学校交歓水泳大会参加(8月11日、浜寺プール)
60周年記念行事挙行(8月12日)
 (記念式典、記念誌発刊、功労者表彰)
第10回日本シンクロ選手権大会全種目独占優勝。ソロ優勝(郷上良美)、デュエット優勝(日野順子・橋本正子)、チーム優勝
全米シンクロ選手権のためシンクロチーム渡米(6月6日〜8月10日、サクラメント)
昭和42年(1967)
=第61回
第12回日本泳法大会で高橋数隆、下浦まゆみが優勝(8月20日、天理プール)
泳法委員会が泳法部となり活動開始
第11回日本シンクロ選手権大会全種目独占優勝。ソロ優勝(郷上良美)、デュエット優勝(郷上良美・橋本正子)、チーム優勝
水陽会委員会機構改革。会員・綱紀・遠泳委員会できる。会長に高橋清彦氏
仁田順三郎師範が体育功労者として知事表彰。塚本弘明、前田一雄両氏が大阪水泳協会から表彰を受ける
昭和43年(1968)
=第62回
高橋清彦氏が師範に就任
研修委員会によるシーズンオフの研修会始まる
仁田順三郎、塚本弘明、前田一雄、西埜将美各氏が日本水泳連盟関西支部より水泳界功労者として受賞
第12回日本シンクロ選手権で全米代表サンタクララチームが優勝。浜水はチーム、ソロで2位(8月15・16日、大阪プール)
シンクロ日米交歓大阪大会に参加(8月16日大阪プール、同22日金岡プール)
昭和44年(1969)
=第63回
海浜時代に匹敵する「プールの指導体系」確立
第14回日本泳法大会で高橋数隆優勝
万国博市民の夕べに楽水群像が参加(8月5日、大阪プール)
濱田奈良夫主事が大阪市長から社会体育指導功労者として受賞
昭和45年(1970)
=第64回
第18代能島流宗家巽忠蔵氏より浜寺水練学校師範高橋清彦氏が第19代宗家を継承
第15回日本泳法大会で小引正彦、中出潤子が優勝(8月23日、水戸)
万国博のシンクロ国際招待大会開会式にシンクロ、大名行列、楽水群像が出場。シンクロ部がアメリカ、カナダ、西ドイツチームに交じって出場(8月6〜13日、万国博人工池)
シンクロ国際大阪大会、堺大会にシンクロ部のほか、大名行列、楽水群像が出場(8月8日大阪プール、同9日金岡プール)
昭和46年(1971)
=第65回
浜寺水陽会より「泳ぎと中尾さん」発刊
第6回近畿水練学校交歓水泳大会が浜寺で開催。リレーで1位5組、2位7組、個人種目で1位21人、2位22人、3位10人が入賞(8月17日、浜寺プール)
昭和47年(1972)
=第66回
第17回日本泳法大会で小引正彦、田村恵が優勝(8月13日、金岡プール)
シンクロ部がヨーロッパ遠征、ミュンヘンなどで国際競技大会に出場
昭和48年(1973)
=第67回
水飢饉のため浜寺プールが閉鎖され、8月1日から臨時休校
第1回世界選手権水泳競技大会でシンクロの藤原昌子、育子姉妹がデュエット3位を獲得、チーム(ナショナル)も3位に入賞(9月、ユーゴスラビア)
第17回日本シンクロ選手権大会でデュエット優勝(藤原昌子・育子)、チーム優勝
第18回日本泳法大会で小引正彦優勝、女子2位。男子は2、5、6位にも入賞(8月26日、東京)
昭和49年(1974)
=第68回
高橋清彦師範、北村三郎氏がFINA(世界水泳連盟)のシンクロ国際会議のためカナダへ渡航
アメリカからサンタクララチームが来日、授業を見学(8月)
第1回パンパシフィック大会にシンクロチーム出場。デュエット、チームとも銅メダルを獲得(9月、アメリカ・ハワイ)
昭和50年(1975)
=第69回
米田定雄、仁田順三郎両氏が名誉師範、北村三郎、藤本秀松、杉本末春、古田昌雄、塩澤龍彦、新田長夫、佐々木正男が相談役に就任
第2回世界選手権水泳競技大会でシンクロデュエット3位、チーム(ナショナル)3位(7月、コロンビア・カリ)
第19回日本シンクロ選手権大会でデュエット優勝(藤原昌子・育子)、チーム優勝
第20回日本泳法大会で湯浅教雄が優勝
昭和51年(1976)
=第70回
70周年記念行事挙行(8月19日)
記念式典(毎日ホール)、卒業生名簿、学校要覧、「水陽」特別号を発行。また、プールでの指導法を網羅した「指導教本」を発刊。
入学資格を1年下げ小学2年生からとする
第21回日本泳法大会で、この年から始まった団体の部準優勝(8月、東京)
第1回全国遠泳大会に男女2チームが出場。シニア男子4位、ジュニア混合4位の健闘を見せる(8月、広島)
第2回パンパシフィック大会が名古屋で開かれ、シンクロデュエット、チーム3位(9月、名古屋)
第20回日本シンクロ選手権大会でデュエット優勝(藤原昌子・育子)、チーム優勝
昭和52年(1977)
=第71回
水球部創設。松室一男大阪水泳協会水球委員長を指導者に迎える
第22回日本泳法大会で貴多野正道、山口文子、団体競技が優勝。史上初の三冠王となる(8月、東京)
第3回パンパシフィック大会でシンクロデュエット、チーム3位(8月、メキシコ)
第21回日本シンクロ選手権大会でデュエット優勝(藤原昌子・育子)、チーム優勝
第2回全国遠泳大会でジュニア男子初優勝(8月、広島)
昭和53年(1978)
=第72回
授業を本科・午前、予科・午後に二分、指導法の効率化と安全確保を図る
第23回日本泳法大会で、福原博、山口文子、団体競技3種目制覇(8月、東京)
第3回世界選手権のシンクロデュエットで藤原姉妹が銀メダルを獲得、チーム(ナショナル)も2位(8月、西ドイツ・ベルリン)
第22回日本シンクロ選手権大会でデュエット2位、3位
第1回ジュニアオリンピックの水泳・中学の部で3位入賞(8月)
昭和54年(1979)
=第73回
第24回日本泳法大会で山口文子が4連覇を達成(8月、東京)
第1回FINAワールドカップが東京で開かれ、シンクロチーム(ナショナル)2位(8月)
第4回パンパシフィック大会にシンクロ出場、チーム演技でわずか0.12点の差で金をのがす(11月、ニュージーランド)
第23回日本シンクロ選手権大会でデュエット2位
昭和55年(1980)
=第74回
第3回ジュニアオリンピックで水球部が学童の部で初優勝を飾る(8月)
第1回アメリカンカップでソロ、デュエット、チーム3種目とも3位(コンコルド)
AAUのシンクロチームが来日、浜水との交流を深める
昭和56年(1981)
=第75回
高橋清彦師範の自宅にシンクロ専用プールが完成(6月)
第26回日本泳法大会で団体優勝(8月、静岡)
第25回日本シンクロ選手権大会全種目独占優勝。ソロ優勝(元好三和子)、デュエット優勝(藤原成江・阿部育子)、チーム優勝(8月、静岡)
第6回全国遠泳大会の高校男子の部で優勝(8月、広島)
滋賀国体に水球部が大阪代表として出場(9月)
昭和57年(1982)
=第76回
日本泳法研究会で能島流が研究課題となり、幻の泳ぎ「二ツ掻」を披露(3月、静岡)
第4回マジョルカ選手権でシンクロチーム3位(6月、スペイン)
第4回世界選手権でシンクロのソロ、デュエット、チーム3種目とも3位(8月、エクアドル)
第26回日本シンクロ選手権大会全種目独占優勝。ソロ優勝(元好三和子)、デュエット優勝(藤原成江・阿部育子)、チーム優勝(8月、静岡)
第27回日本泳法大会で団体優勝(8月、静岡)
島根国体のシンクロデュエットで優勝(9月)
大阪水泳協会からシンクロ、日本泳法、全国遠泳の選手25人が表彰を受ける
昭和58年(1983)
=第77回
第6回パンパシフィック大会でシンクロのソロ、デュエット3位、チーム2位(オーストラリア・メルボルン)
第2回アメリカンカップでシンクロのソロ、デュエット、チーム3種目とも3位(3月、アメリカ・ロサンゼルス)
第5回マジョルカシンクロ大会でソロ、デュエット3位
第27回日本シンクロ選手権大会全種目独占優勝。ソロ優勝(元好三和子)、デュエット優勝(阿部育子・元好三和子)、チーム優勝
昭和59年(1984)
=第78回
入学資格を小学1年生からとする
ロサンゼルス・オリンピックのシンクロ競技で、ソロ(元好三和子)、デュエット(元好三和子、木村さえ子)銅メダル獲得(8月)
第6回マジョルカシンクロ大会でデュエット、チーム3位
第9回スイスオープンでチーム3位
第28回日本シンクロ選手権大会全種目独占優勝。ソロ優勝(木村さえ子)、デュエット優勝(元好三和子・木村さえ子)、チーム優勝
第9回全国遠泳大会で高校男子の部優勝(8月、広島)
昭和60年(1985)
=第79回
第2回FINAワールドカップ大会シンクロでソロ、デュエット、チーム共3位(8月、アメリカ・インディアナポリス)
第29回日本選手権でシンクロ、ソロ優勝(木村さえ子)、デュエット2位、チーム優勝(8月、富山)
第10回全国遠泳大会で女子シニアの部・ジュニアの部ともに優勝、ジュニアの部3位入賞(8月、広島)
昭和61年(1986)
=第80回
80周年記念式典(7月6日、大阪全日空ホテル・シェラトン)
「80年史」発刊
濱田奈良夫氏が師範に就任。第20代能島流宗家を継承
委員会を研修、教科目、編集、厚生とし、競泳部が復活
昭和62年(1987)
=第81回
全国水泳大会が水戸に変わる。全国女子水球選手権初参加
第12回全国遠泳大会(第1回駅伝大会)に参加
第32回日本泳法大会で山根典子が優勝。
昭和63年(1988)
=第82回
第33回日本泳法大会で、水谷真大、山根典子が優勝。男女優勝は10年ぶりで、支重競技で連覇した水谷真大選手はタイム30分03秒2で驚異的な記録だった。(8月20・21日、伊豆サイクルスポーツセンター)
平成元年(1989)
=第83回
第34回日本泳法大会で山根典子が優勝(3連勝)、支重競技で外山久仁子が優勝(2連勝)
塙智香子選手シンクロナショナルチームに選ばれる。友松悦子・萩野希代子選手国体に大阪代表として出場(第3位)
平成2年(1990)
=第84回
第35回日本泳法大会、泳法競技会男子部で山田隆行が優勝(初)、女子の部で山根典子が優勝(4連覇)、横体競泳で山田隆行が優勝
第13回全国ジュニアオリンピック夏季水泳競技大会で13〜14歳ソロの部優勝(藤木麻祐子)、15〜17歳チーム優勝(8月)
(財)大阪水泳協会より山根典子が特別表彰
平成3年(1991)
=第85回
第85回記念式典が開催される(5月、ホテル南海なんば)
記念行事として水上大運動会復活
第14回全国ジュニアオリンピック夏季水泳競技大会(8月)15〜17歳デュエットの部優勝(藤木麻祐子・東陽子)、15〜17歳チームの部優勝
第47回国民体育大会水泳競技大会(9月)でデュエットの部優勝藤木麻祐子(大阪府代表)
10月MBSの番組「親の目子の目」で浜水を全国に紹介
平成4年(1992)
=第86回
幼児(5〜6歳)短期教室新設(1期5日間を2期)
第41回日本泳法研究会で能島流を発表(3月21・22日、静岡県修善寺町)
平成5年(1993)
=第87回
第16回全国ジュニアオリンピック夏季水泳競技大会で15〜17歳ソロの部金海幸美8位、12歳以下チームの部5位
平成6年(1994)
=第88回
第39回日本泳法大会泳法競技女子部で、山根典子が5度目の優勝を果たす
第17回全国ジュニアオリンピック夏季水泳競技大会(8月開催・シンクロ)で13〜15歳チームの部3位、12歳以下チームの部2位
平成7年(1995)
=第89回
第40回日本泳法大会、泳法競技女子の部で山根典子が6度目の優勝を果たす
第18回全国ジュニアオリンピック夏季水泳競技大会(シンクロ・8月東京で開催)で、12歳以下チームの部2位、13〜15歳デュエット優勝(中西由香、小川千乃)
チャレンジカップ’95(シンクロ)でチーム8位
関西選手権、ジュニアの部5位、シニアの部5位
平成8年(1996)
=第90回
90周年記念式典(6月29日、都ホテル大阪)
「90年史」発刊
堺市を中心に発生した病原性大腸菌O‐157のため、3日間で授業を中止
第19回全国ジュニアオリンピック夏季大会で12歳以下ソロの部優勝(小林寛美)、デュエットの部優勝(小林寛美・白本依子)、チームの部優勝。13〜15歳チームの部優勝、最優秀選手賞に小林寛美受賞
平成9年(1997)
=第91回
第20回全国ジュニアオリンピック夏季大会で12歳以下ソロの部2位(小林祐加子)、チームの部2位。13〜15歳デュエットの部優勝(橘雅子・真住居明)、チームの部優勝、ソロの部2位(長谷川早希)
浜寺水練学校にJOカップ賞、優秀選手賞に橘雅子受賞
日本選手権チームの部6位。関西選手権デュエットの部優勝(矢野道子・吾郷真子)、シニアチームの部3位、ジュニアチームの部3位
平成10年(1998)
=第92回
第21回全国ジュニアオリンピック夏季大会で13〜14歳ソロの部2位(橘雅子)、デュエットの部優勝(橘雅子・小林寛美)、チームの部優勝。15〜17歳デュエットの部2位(中西由香・小川千乃)
JO優秀選手賞に橘雅子、小林祐加子受賞
日本選手権チームの部5位
平成11年(1999)
=第93回
第22回全国ジュニアオリンピック夏季大会で12歳以下ソロの部優勝(小林祐加子)、デュエットの部優勝(小林祐加子・江本可奈)、チームの部優勝。13〜14歳ソロの部優勝(小林寛美)、デュエットの部優勝(小林寛美・矢野道子)、チームの部優勝。15〜17歳ソロの部優勝(橘雅子)、デュエットの部優勝(橘雅子・真住居明)。JOCカップ賞小林寛美、12歳以下最優秀賞小林祐加子、13〜14歳同小林寛美
日本選手権チームの部5位
第44回日本泳法大会女子シニアの部2位磯田涼子
平成12年(2000)
=第94回
チャレンジカップ2000デュエットの部3位(橘雅子、小林寛美)。チームの部3位(橘雅子、長谷川早希、小林寛美、矢野道子、白本依子、小林祐加子)
第23回全国ジュニアオリンピック高校生の部ソロの部3位(小林寛美)。デュエットの部3位(橘雅子、小林寛美)。チームの部3位(長谷川早希、橘雅子、小林寛美、矢野道子)
13〜14才ソロ・デュエット大会ソロの部優勝(小林祐加子)、3位(江本可奈)。デュエットの部優勝(小林祐加子、江本可奈)
第45回日本泳法大会女子シニアの部2位磯田涼子
平成13年(2001)
=第95回
第46回日本泳法大会女子シニアの部3位磯田涼子
第77回日本選手権チームの部3位(長谷川早希、橘雅子、小林寛美、白本依子、小林祐加子、吾郷真子、江本可奈、桂山実希)
第24回全国ジュニアオリンピックカップ夏季水泳競技大会ソロ13〜15歳の部3位(小林祐加子)。デュエット13〜15歳の部2位(小林祐加子、江本可奈)
第56回国民体育大会デュエット優勝(橘雅子、小林寛美)
ジュニア世界選手権デュエット2位(橘雅子)。チーム2位(長谷川早希、橘雅子、小林寛美)
平成14年(2002)
=第96回
第78回日本選手権チームの部4位(橘雅子、長谷川早希、小林寛美、小林祐加子、江本可奈、兵頭優香、黒澤稀)
第25回全国ジュニアオリンピックカップ夏季水泳競技大会ソロ優勝(江本可奈)、2位(小林祐加子)。デュエット優勝(小林祐加子、江本可奈)。チーム2位(小林祐加子、江本可奈、永井里奈、矢野幸子、垣内耶穂、京田真以美、小林美紗子、西海彩夏、兵頭美穂)
平成15年(2003)
=第97回
濱田奈良夫師範逝去、後任に伊佐美璋子氏就任、第21代能島流宗家を継承
第48回日本泳法大会女子シニアの部2位磯田涼子
チャレンジカップ2003チームの部優勝(橘雅子、長谷川早希、小林寛美、小林祐加子、江本可奈)。デュエットの部優勝(橘雅子、小林寛美)。ソロの部2位(橘雅子)、3位(小林寛美)
第26回全国JOCジュニアオリンピックカップ夏季水泳競技大会デュエット16〜18歳の部2位(小林祐加子、江本可奈)。ソロ16〜18歳の部3位(江本可奈)
平成15年度和歌山県水泳競技選手権大会水球の部女子、ジュニアの部3位
平成16年(2004)
=第98回
日本泳法教室新設(1期10日間を2期開設)、成人短期コースを廃止
第49回日本泳法大会で磯田涼子優勝。鞠子和也2位
第48回日本選手権ソロの部3位(橘雅子)。チームの部3位(橘雅子、長谷川早希、小林寛美、小林祐加子、江本可奈、矢野幸子、永井里奈、岡野真己)
日本シンクロチャレンジカップ2004ソロの部優勝(橘雅子)。チームの部3位(橘雅子、長谷川早希、小林寛美、小林祐加子、江本可奈、矢野幸子、永井里奈、岡野真己)
スイスオープンソロの部優勝(橘雅子)。チームの部優勝(橘雅子、長谷川早希、小林寛美)。フリールーティンコンビネーション2位(橘雅子、長谷川早希、小林寛美)
第9回ジュニア世界選手権(モスクワ)チームの部2位(小林祐加子、江本可奈)。フリールーティンコンビネーション2位(小林祐加子、江本可奈)
平成16年度和歌山県水泳競技選手権大会水球ジュニア女子の部準優勝。
平成16年度岐阜県水泳競技選手権大会水球ジュニアの部第3位
平成17年(2005)
=第99回
第50回日本泳法大会記念式典で泳法委員会より伊佐美璋子師範表彰
第50回日本泳法大会で、鞠子和也優勝
第49回日本選手権チーム2位(橘雅子、小林寛美、長谷川早希、小林祐加子、江本可奈、永井里奈、矢野幸子、岡野真己)
世界選手権(カナダ)に橘雅子、小林寛美が日本代表メンバーとして出場。チーム、フリールーティンコンビネーションでともに2位
USオープンチーム3位(小林祐加子)、デュエット3位(小林祐加子)
アジアエイジチーム優勝(小林祐加子)、デュエット優勝(小林祐加子)
第28回全国JOCジュニアオリンピックカップ夏季水泳競技大会デュエット13〜15歳の部3位(岡野、桂山)
平成18年(2006)
=第100回
第100回記念式典挙行(6月25日、スイスホテル南海大阪)
 「100年史」発刊
 ビデオ作成(99年目の浜水)
 浜寺公園内に記念碑建立
第51回日本泳法大会で、鞠子和也優勝(連覇)
第56回日本泳法研究会で「能島流」研究発表(大阪市中央公会堂・「なみはやドーム」サブプール)
ワールドカップ(横浜)で橘雅子、小林寛美が日本代表メンバーとして出場。チーム、フリールーティンコンビネーションでともに2位。
2006年関西選手権水泳競技大会ジュニアの部ソロ優勝(計盛光)
第61回国民体育大会夏期水泳競技大会デュエット優勝(矢野幸子・岡野真己)
第29回全国JOCジュニアオリンピックカップ10〜12歳の部ソロ優勝(計盛光)デュエット2位(計盛光・魚住夢香)16〜18歳の部ソロ2位(矢野幸子)デュエット優勝(矢野幸子・岡野真己)チーム優勝(矢野・岡野・永井・大西・早川・神吉・堀田)
スイスオープンチーム2位(小林祐加子)、フリールーティンコンビネーション優勝(小林祐加子)
平成19年(2007)
=第101回
伊佐美璋子師範が退任し名誉師範に、後任に木村u紀氏が就任、第22代能島流宗家を継承。
第52回日本泳法大会で、鞠子和也優勝(3連覇)
世界選手権(メルボルン)に橘雅子、小林寛美が日本代表メンバーとして出場。フリーコンビネーション2位、チームテクニカルルーティン2位、チームフリールーティン3位
日本選手権チーム優勝(橘雅子、小林寛美)コンビネーション優勝(橘雅子、小林寛美)ソロ2位(橘雅子)、3位(小林寛美)
スイスオープンチーム2位(橘雅子、小林寛美)コンビネーションルーティン優勝(橘雅子、小林寛美)
アジアエイジ(インドネシア)チーム優勝(岡野真巳)
伊佐美璋子名誉師範「大阪スポーツ賞大賞」受賞
平成20年(2008)
=第102回
日本選手権チーム優勝(橘雅子、小林寛美)
北京オリンピックに、小山順子(総務)、久由利子(コーチ)、橘雅子、小林寛美(いずれも選手)が派遣されることが決まり、6月5日に4氏の壮行会挙行(ホテルニューオータニ大阪)
5月11日、第19代能島流宗家高橋清彦元師範逝去
高橋清彦元師範お別れ会(やすらぎ天空館)
第53回日本泳法大会で、鞠子和也優勝(4連覇)
スイスオープン(ナショナルBチーム)チーム1位(小林祐加子)フリーコンビネーション1位(小林祐加子)
ジュニア世界選手権(JrナショナルBチーム)チーム3位(岡野真己)
クリスマスプライズプラハ2008ソロ1位(計盛光)デュエット1位(計盛光)
府営プールの要望により週1回無料水泳教室実施
平成21年(2009)
=第103回
アジアエージグループ選手権ソロ優勝(計盛光)フィギュア優勝(計盛光)チーム優勝(計盛光)
ジュニアオリンピック大会ソロ13〜15歳優勝(計盛光)デュエット13〜15歳優勝(計盛光・篠原瑠璃)
平成22年(2010)
=第104回
 
平成23年(2011)
=第105回
新聞社より永年功労者に感謝状贈呈
(稲葉功、吉田尚美、伊佐美璋子、織田勝正、木村u紀)
成年部コース廃止
国体(シンクロ)計盛光デュエット優勝
東北関東大震災(3月11日)により日本泳法研究会(水府流)中止
台風6号接近(7月20日)により開校式中止
第34回全国JOCジュニアオリンピック16〜18歳の部ソロ優勝(泉智果子)
平成24年(2012)
=第106回
専用プール(50m−1号、25m−1号・2号)大阪府の経営方針により使用廃止、代替として一般(50m−2号、25m−3号・4号)を平日専用借として授業
初級2班、午後授業から午前授業に変更
幼児短期授業時間9:45〜11:00に変更
平成25年(2013)
=第107回
大阪水泳協会創立100周年記念において、木村u紀氏、湯浅教雄氏が功労賞で表彰される。
平成26年(2014)
=第108回
公益財団法人日本水泳連盟創立90周年記念式典において水泳競技の振興と競技力向上に尽力すると共に連盟の発展に貢献した事により感謝状受賞。
平成27年(2015)
=第109回
第60回日本泳法大会(広島県)において永年の日本泳法の普及発展に対する功績により(公財)日本水泳連盟日本泳法委員会より木村益紀氏表彰を受ける。
第1回関西オープン日本泳法競技大会が和歌山県秋葉山公園県民水泳場で開催。
平成28年(2016)
=第110回
110周年記念祝賀会挙行(6月25日、スイスホテル南海大阪)
第61回日本泳法大会(門真市)においてエキシビションとして浜水大名行列を披露(総勢56名)